

◎◎京都南・城陽市 足つぼ足揉みサロン◎◎
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こんにちは、足もみサロンゆとりらのブログをご覧いただき、ありがとうございます。
今日はレイキ(霊氣、Reiki)の話を。
あなたは「レイキ」という言葉を聞いたことがありますか。
目次
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レイキは、体に手を当てたり、手をかざして行うお手当です。
厚生労働省が「統合医療」に関する情報を発信するサイト「厚生労働省eJIM(イージム:「統合医療」)」でも「補完療法の一つ」として紹介されています。
何らかのダメージを負っている人が自ら細胞の再生や組織の修復する、その促進がレイキの目的です。
レイキをする際は、「マントラ」と呼ばれる言葉や「シンボル」と呼ばれる文字を使ったりします。
こういったことを伝授してもらうには学びや儀式が必要になるので、伝授できる専門家をまず探さなければなりません。
ネットで検索すれば伝授してくれる人はたくさん出てくると思いますが、私は以前から知っていた信頼できる方にお願いしました。
伝授の儀式は宗教的なものではなく、簡単に言えば、誰にでも備わっている「エネルギーの通り道」をクリーニングして、エネルギーが流れやすい状態に整えてもらうという内容。
ここで言う「エネルギー」は自身の生命エネルギーではなく、宇宙から常に降り注いでいるエネルギーです。

ここまで読んで、
「宇宙のエネルギーは常に降り注いでるなら、わざわざレイキヒーリングをしてもらわなくてもいいんじゃない?」
と思った方もいるかもしれません。
確かに、その通りなんです。
レイキでは、宇宙のエネルギーは一部の特別な人だけが受け取れるものではなく、私たちは普段からその中で生きている、と考えます。
では、なぜレイキヒーリングをするのでしょう。

私たちは毎日生活しているだけでも、疲れたり、ストレスを感じたり、頭の中が考え事でいっぱいになったりします。
そんな時は体に力が入り、呼吸が浅くなっています。
そうすると、本来持っている力をうまく発揮しにくくなっていることもあります。
レイキヒーリングは、外から何か特別な力を「入れてもらう」というよりも、手を当てることで必要なエネルギーが流れやすい状態をつくり、受け取りやすくするもの。
私はそんなふうに捉えています。

太陽の光は、誰にでも降り注いでいます。
でも、ずっと家の中にいたら、その光を十分に浴びることはできません。
窓を開けたり、外へ出たりすると、「あぁ、あったかいな」と改めて感じますよね。
レイキも少し似ているのかもしれません。
もともとそこにあるもの。
でも、意識して手を当て、ゆったりと受け取る時間をつくることで、そのエネルギーをより受け取りやすくする。
だから私は、レイキを「何かを足してもらうもの」というより、もともとあるものを受け取りやすくする時間だと思っています。

そして、もうひとつ大切なこと。
それは、レイキをする人が、「悪いところを治してあげよう」「私の力で元気にしてあげよう」とするものではない、ということです。
ただ、そっと手を当てる。
何かを無理に変えようとしない。
その人自身が持っている力を邪魔せず、そっと寄り添う。
私は、このシンプルさがレイキの好きなところです。

レイキには、直接手を当てる方法だけでなく、離れた場所にいる方へ行う「遠隔レイキ」もあります。
「離れているのに、どうやって?」と不思議に思いますよね。
レイキでは「エネルギーは距離にとらわれず届けることができる」と考えられています。
そのため、同じ場所にいなくてもレイキを送ることができます。
遠隔レイキを受けるときも、何か特別なことをする必要はありません。
ゆっくり横になって過ごしてもいいし、いつも通りに過ごしていても大丈夫。
温かく感じる方、眠くなる方、なんとなくほっとする方もいれば、特に何も感じない方もいます。
感じ方は人それぞれです。
「何か感じなくちゃ」と頑張らなくても大丈夫。
私は遠隔レイキをするときも、対面のときと同じように、
「こうなってほしい」
「ここを良くしたい」
と私の意図を押しつけるのではなく、その方に必要なところへ、必要な分だけ届くように。
そんな気持ちで、静かにレイキを送っています。

ここまでの説明を読むと、「レイキってスピリチュアルっぽくて怪しい。こわい。」と感じるかもしれません。
ですが、海外では、レイキが補完的なケアとして医療の現場で取り入れられていたり、看護系学校の科目に含まれているケースもあります。
そこでは何か不思議な力を起こすものではなく、人に触れることによる安心感や、リラックスを促すケアとして扱われることも多いようです。
基本はとてもシンプルです。
静かに手を当てること。
それ以上のことは、無理にしない。
マントラやシンボルも「不思議な呪文」や「特別な記号」というより、意識を一点に向けるための道具のようなものだと私は受け取っています。

私はレイキと出会って、もう19年になります。
最初に学んだのは、ファースト・ディグリー(段階)だけでした。
当時は「何か特別なことをしたい」というより、「家族のために日常の中での手当てとして使えたらいいな」、そんな気持ちで学びました。
特に、子どもが小さかった頃。
熱を出した時、なかなか眠れない夜、病院に行くほどではないけれど、そんな場面でただ手を当てるレイキはとても身近に使えるものでした。
しばらくはファーストのままでレイキを日常の中で使い続けていました。
でも、私の中には「いつかちゃんと最後まで受けてみたい」という思いはありました。
そして、コロナ禍に入った時、外も家も、自分自身の中にも、今まで直面したことのない得体の知れない不安感。
「これは今だな」と直感的に感じて、伏見にある「推拿とレイキゆらね」 にて改めてアチューメントを受け、サード・ディグリーまで修了しました。
今振り返ると、あのタイミングだったからこそ、無理なく受け取れたのだと思います。

現在は、足揉みの施術を行う際に、施術前・施術中・施術後、それぞれのタイミングでレイキを使っています。
といっても、特別なことをするわけではありません。
自分の内側や場を整えるような感覚で、静かに。
「治そうとしない」
「何かを起こそうとしない」
その人の体や、いのちの働きを信じて、そっと手を当てる。
施術の流れが、より自然に、穏やかにつながっていくように感じています。
私がレイキを続けている理由は、そのシンプルさにあります。
昨年、レイキの復習会に参加した時、ふと気づいたことがありました。
家族のため、お客様のため、誰かのためにはレイキを使っているけれど、自分のためにレイキをすることがいつの間にか意識から抜けていたということ。
それ以来、自分のために手を当てる時間も、大切にしています。
呼吸や体の反応を感じる、そんな時間です。

レイキは、特別なものではありません。
信じなくてもいいし、何かを感じなくてもいい。
ただ、手を当てる。
それだけで成り立つ、とてもシンプルな手当てです。
足揉みと同じように、暮らしの中で静かに使い続けていきたいと思っています。